はじめに

  私が写真をとおして社会に発信しようとする時、「人間とは」という考えが常につきまとう。人間とは何?そして生きるとは?
  豊かさを求め、快適便利さを求めひたすらそれらの欲望を満たすべく昼夜休みなくモノを生み出す今。
  その慌ただしさと逆行するかのように私の心の中には幼少時代の景色が色濃く蘇ってしまう。
  今もむかしも同じ24時間なのに朝と昼と夜があったあの頃。
  そんな環境で見たもの触れたもの感じたもの食べたものに今とても飢えている。
  日本は高度成長の中であまりにもなりふりかまわず走ったのだろうか、
  成功もしたが同じくらい大事なモノも失ってしまった。
  それが今いろいろなカタチで社会問題になっている。
  今一度、自分の原点にかえって現在を見つめる時、同じ生活の場で生きているヒトに目を向けないわけにはいかない。
  そして蟻のごとく蠢きあうその中から光帯びて私の目に入るヒトがいる。
  そして、それらの一つひとつが今のわれわれを育んでいるのは事実である。
  その大部分のヒトは歴史の中で静かに埋もれてしまうであろうが誇り高く生きているのは紛れもない。
  いつの頃だったか、確か私が小学校に行き始めた頃だから7歳の時かである。
  祖父母の家にいってた時のことだ。
  祖母が何かの拍子に私の頬を触ったことがあった。
  その時の頬に伝わった感触は硬くてざらっとした石の様でおおよそ母の感触とは似ても似つかないものだった。
  それでもなぜか嫌悪感はなく祖母の私を見つめる温かなまなざしとともに今も心に優しく残っている。
  生きるということを「手」をとおして撮り始めた時、その時の祖母の姿が私に囁きかけてくる。
  「正しく生きた手を見なさい、一生懸命生きた手を見なさい」と。

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